僕が11年間勤めた会社を辞めた理由
【僕が11年間勤めたtriple a出版を辞めた理由】
僕は2月末をもって11年間勤めてきたtriple a出版を退職しました。
きっかけは、40歳手前になりふとしたときに「これからの人生」について考えたりするようになったことです。しっかりした人なら20代半ばとか30歳くらいで先のことを考えたりするんでしょうが、僕は気付いたらこんな歳になってました。ホント、あっという間でした。
で、何を考えてたかといいますと
「この先、今の会社に定年までずっと居れるのだろうか」
「あ、おれ今まで自分で特に何も成し遂げれてないや」
「あれ?おれって子供の頃どんな大人になりたかったんだっけ」
「つか、65歳まで働くとしても、あと25年しかないじゃん」
「それより、おれ良い歳して金持って無さすぎじゃね?」
こんな様なことをずーーーーーっとぼんやり考えてました。もう考え過ぎて寝れなくなってストロング系の悪ーいお酒を飲んで気絶する様に床に着く日々が続きました。立派なアル中ですね。
僕の在籍していたtriple a出版という会社は、主にパチンコ&スロットの情報誌「でちゃう!」という雑誌を出版する会社でした。世間的に「パチンコ業界」というと悪いイメージを持たれがちです。僕も29歳で入社するまでパチンコ屋に入店したことすらありませんでした。なので、この業界に何一つ良いイメージを持ってなかったですし、それの情報誌作ってる会社なんて正直ヤバい人しかいないと思ってました。
じゃあ何でtriple a出版に入社したかといいますと、ぶっちゃけ「内定くれた会社の中で一番待遇が良かったから」です。
DNPを辞めてゆっくりマイペースに次の転職先を探しておりましたが、まるで雲の様に月日が経ち「転職の厳しさ」と「自分の売りの無さ」を痛いほど感じる様になり、転職活動が半年過ぎて貯金残高の底が見え始めたときに「あ、おれって社会に要らない人なのかな」という思考になり、僕は人生で初めて死のうと考えました。でも死ねませんでした。僕にはまだやってないことや知らないことがたくさんある。それを経験せずに死ねるかよ、と。
そこからありがたいことに何とか2社の小さいデザイン事務所とtriple a出版に内定をもらい、金が底を尽きた僕は一番待遇の良いtriple a出版にすがる思いで入社しました。30手前のいい大人がホント最低ですね。
入社当時はまだ会社も若く、業界が勢いに乗ってた上に全国展開を控えてたこともあり連日徹夜が当たり前の超過酷な状況でした。大手企業でぬくぬく働いてきた僕には本当に辛かったのを覚えています。
でも、その過酷な環境下でも必死に良いものを作り締め切りを乗り越えている先輩達をみて、「こんな状況下で新人の僕なんて全然何もできてないじゃないか」と悔しさと情けなさを感じました。僕はそれから必死で環境に慣れ戦力となれる様努めました。そうせざるを得なかった状況だったのです。
無事全国展開も果たし、年月を追うごとに会社も段々まともな会社へと変わっていきました。現会長や総務部が現場の環境や意見をちゃんと考えてくれた結果だと思います。「売り上げ」「規模」「社内環境」など、小さい会社が数年で急成長を遂げる様を間近で見て感じることができました。これは大企業にいたら到底味わえない経験だと思います。
ヤバい会社でヤバい人しかいないと思ってたtriple a出版ですが、会長は一事業をここまで拡大し、従業員達を背負い、常に先の楽しいことを考えている尊敬のできる凄い人でした。社員も実にいろんな人がいましたが、本当にあったかい人ばかりでした。上司にもホント恵まれてたと思います。仕事も「所詮パチンコ関係」なんて思っている人はおらず、愚痴なんかはこぼしながらも常に良いものを作ろうとする人ばかりでした。
クライアントである「パチンコホール」さんも、直接会う機会は頻繁にはなかったですが、基本働いてる人は本当に普通の人ばかりです。まぁ店によっては怖そうな人もいたりするそうですが・・・。
今はいろんな要因が重なって非常に苦しい状況のパチンコ業界ですが、とにかく負けないで頑張って欲しいです。
と少し話が外れましたが、そんな楽しい会社をなぜ辞めたか。
理由は『挑戦』してみたかったからです。
僕は幼い頃からリスクを負うことが嫌いで、いつも逃げてきました。「でも」「だって」「だから」「どうせ」の4Dを連発するような超ネガティブ思考で、やってもないのに「うまくいくわけがない」と思ってしまってました。なので、能動的・積極的・ポジティブに行動ができる活発な人にずっと憧れていました。
リスクを避け続け、なんとなくサラリーマンしていたらあっという間に40歳間近になりました。この先もこのまま愚痴をこぼしながらもサラリーマン続ければきっと楽でしょう。でも、僕も人生で一度はリスクを負ってでも変わってみたいと思ったのです。
ネガティブな僕が、独立しポジティブに『挑戦』していきたくなったこと。それこそが僕の退職の理由です。
triple a出版には心残りはありますが、いまでは本当に感謝しかありません。